私は、ITゼミ講師の目面ともうします。 現在、私はITソフトウェアの開発会社を経営しております。
同じアーテックのエジソンアカデミー教室はあると思いますが、当校が他よりオススメできる点があります。
少し長くなるかもしれませんが、少々私の経歴のお話にお付き合いください。
私は実は小学4年生の時に、父が電子工作キットを買って来てくれ、ハンダゴテを使ってラジオを作ったのが最初です。
そこで電子工作というものに深く興味を持ちました。そして勉強したいと親にお願いし、お年玉のお金で電子工学の勉強をはじめたのが小学4年生。
勉強をしたいのだけれども、本には「オームの法則」はもちろん、「ルート」や「インテグラル」という数学表記から、物理学のインダクタンスのリアクタンスの計算や知識も必要になってきて、親に聞いてもよくわからず、毎日放課後に職員室で先生に聞くのだけれども、何度聞いてもよくわからない・・・ そういう日を過ごしました。
5年生になったある日、電子工作に必要なコンデンサが足りなくて、当時あったニノミヤムセンというお店にパーツを買いに行ったとき、欲しいパーツが在庫切れで買えず、もし買えたとしてもお金が足りなかったのです。
どうしようか迷って店内をウロウロしているうちに、ある雑誌が目に止まりました。 「月刊マイコン」という雑誌。 分厚いけれどもほとんどが広告というものですが、沢山の興味あるものが載っており、それを隅々まで読み漁ってると、電子工作以外にもパソコンというものがあるのを知ったのです。
子供ながらに感動したのが、パソコンは一度買えば部品を買い足さなくてもプログラムというものを書けばそれ以降はお金がかからないことです。
それに、本にかかれているプログラムの説明がなんとわかりやすい!! ここで私の気持ちは、電子工作にさよならを告げ、パソコンに切り替わったのです。
私の子供の頃は、世の中にパーソナルコンピューターが現れて少しした頃です。
NECのPC-8001、シャープMZ-80K、日立ベーシックマスターMB6880という機種が有名でしたが、本体価格で15万から20万ぐらいしていましたし、パソコンにはモニターと呼ばれるブラウン管の専用のテレビと、プログラムを記録する専用のカセットレコーダー、プリンタが必要で、それらを全部揃えると80万から100万ぐらかかるもので、どれも高価で手が出せませんでした。
(当時の大卒初任給は11万円程度だったそうです)
友達がパソコンを買ったよという話しを聞くと、遊びに行って触らせてもらったりするのですが、大抵の友達はゲームを1、2本持っていて、それだけの為にしかパソコンを使わないようで、羨ましいぐらい高いパソコンを、ゲームも飽きたから使っていない人が多かったです。 そういえば、ゲームといえば、この頃はまだファミコンも出たばかりぐらいの時で、全然売れてもいませんでしたね。
そういう友達に、高価なパソコンを1週間ぐらい借りて、1週間ぐらい学校と睡眠とご飯以外は部屋にこもってプログラムを作成して、友達の家に持っていって作ったゲームを一緒に遊ぶ。 難しければ難易度を変更したり、面白いアイデアが出てくればそれを改造したり、そういうことをお友達の家ですぐに反映させなくてはならない訓練をその時からしていたのかもしれませんね。
中学生になって、パソコンも10万を切るものがいくつか発売され、とうとう父が買ってくれました!
でも、、、家の父の知り合いの電気屋さんがナショナル(松下電器)だったので、買ってくれたのは JR-200という超マイナーな機種。。
もちろん大したゲームもなく、書籍はゼロに等しい。。嬉しいものの、微妙な心境でした^^;
でも、子供ながらにもっとゲームとかしたい年頃です。 どうしたかというと、友達が持っている機種のゲームを見てそれをメモし、家に帰って自分で似せて作る! です(笑)
もちろん、見たこともないステージはありません!(笑) でも、そういう繰り返しが良かったのでしょうか、昔流行ったロードランナーというゲームレベルのものであれば、見た目はイマイチですが、1週間程度で作成できていましたね。
高校では生徒会長もしていたので、工学系の有名な大学を推薦するよと先生に言ってもらったのですが、私は行きませんでした。
少しでも早く世の中に出て、誰かの為にこの能力を使いたい! そう思って、コンピュータの専門学校に通い、銀行系のIT企業に就職しました。
同期のメンバーはプログラムが組めない人も多く、即戦力となる私は色々な経験をさせて頂きました。 嬉しかったのは、現場で即対応ができる能力を延ばしていたお陰で、現場に多く連れていってくれたのです。
社内でプログラムを作るメンバーと、現場に行くメンバーでは全然仕事が違います。 現場はお客様がなぜそれを必要としているかを知っているのです。
その為、会社に戻ってこういう要望があるので、プログラムをこう書いてほしいとお願いするのですが、なかなかプログラマはその通りに動いてくれません。 効率や工数を考えて動くからです。
最終的に会社としては、お金のことがあるので効率や工数を優先し、あとは営業が説明してお客様が我慢するような場面を多く見ました。
特にその会社は銀行系だったので、考え方の堅い会社だったのだと思いますが、お客様が望まないプログラムを作ることに嫌気がさし、小さな会社に転職をしました。
そこではお客様との打合せから、プログラム作成、導入、運用指導、サポート、すべてが自分の責任で行える環境がありました。 逆を言えば逃げる場所のない世界です。
大変でしたが、達成感はとても大きいものがありました。
それから幾つか、IBMや伊藤忠、NTTデータ等の大きな会社へ出向などを経験し、最終的に独立をしました。 これができたのも昔からの経験があったからだと思います。
ある映画で「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きているんだ!」というセリフがありましたが、まさしくこの通りです。 大手会社では何かを開発するときには百人規模で開発を行います。 しかし納期近くなるとそれが数人に迄削減されます。 これはほとんどの開発者が派遣で集められていて、お金の切れ目が縁の切れ目のような感じで、また別の現場にいくからです。
彼らは自分が作ったプログラムが最終的にどう使われているのか、見ることもなく商品のように売られていきます。 また、残った私たちは、彼らのバグを直したり、新たな要望を盛り込んだりと、少ないのにかかわらず少数精鋭でお客様に満足をして頂くのです。
この話を聞いて、どちらが大変と感じたかはそれぞれかと思いますが、ある程度教育を受ければあとは時間を売っているような派遣エンジニアと、最終的に残って目的まで達成をするエンジニアとどちらになった方が最終的に生き残れるか・・・。 それは想像がつくかと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、私がこの教材に出会ったときに、大変興味深く思ったのは以下の点です。
1.プログラム言語を勉強する時間が無くても小さい子でもすぐに組める
2.ロボットを動かすことで、目に見えた3次元の動作を確認しながら何度でも挑戦できる
3.答えは1つではなく、自分の考えで目的達成までチャレンジできる
という点です。 これは長年実務をしてきましたが一番大事な3点です。 最終的に言語なんてなんでもいいんです。 JavaであろうがCであろうが、VBでもPerlでもなんでもいいんです。 だからそこに時間を費やすことはあまり意味がないんです。 それよりも自分で何がよくて何が悪いのかの結果を把握し、それを改善する為にまた考え、実践する。
この経験により、なぜこうなるのか。 どうすべきだったのか。 もっといい方法はないのか? これを頭の中の空間で考える事ができるようになるのです。
話しを戻しますが、この教室が他の同じような教室と違う点
20年後に、その子供たちがここで覚えた当たり前のことをフルに活用し、
世の中を支え、人からありがとうと言われる人になっていること!
それを強く願っている私がいます!
教材を渡して、「勝手にやっておいて、わからなかったら声かけてね」という教室ではないことを保証します。